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/20190927 「そして哲学にできるコト」ほか3本

そして哲学にできるコト

(このトピックスは一番最後に書いてることもあって一番展開が雑い。あとで書き直します。)

題名はDay after tomorrowの名曲をもじったもの。あの頃のmisonoさんめっちゃすきなんだよなあ。かわいいよね。

ここ1年くらいは経済学他に関心を寄せていることもあって、哲学はほとんどやっていない*1。なんだったら哲学に対するモチベーションも、一部分野を除いては冷めつつある。それで、すこし離れたところから哲学という学問について考えたりするんだけど、最近とくに考えているのは、この先の世界で哲学に何ができるかという問題だ。

ぶっちゃけ哲学にとって一番のネック(かつ一番の長所にもなりうる点)って、基本後出しじゃんけんしかできないところだと思うのよ。ヘーゲルも言っていたけれど、ミネルバのふくろうは、黄昏に飛び立つしかないわけ。問題が起こったあとの総括しかできないから、現実に対する訴求力をそこまで持てなくて、その結果社会的に軽んじられたりしてしまう。

それから二点目には、多くの哲学者は、大上段に構えたトップダウン型の議論しかしてないってとこ。例えば日本で言うと戸田山センセとか、科学が経験的に証明してきた事実を真っ向から受け止めて、立ち向かってる哲学者もいるっちゃいる。でも、そういう人って非常にすくない気がするのね。これは一点目にも若干関わってくることかもしれない。

他にも挙げようと思えばいくつも出てくるのかもしれないけど、ちょっと飽きてきたので、問題点を挙げるのはこのくらいにしておこう。ぼくは哲学という学問が好きだったし、いまも好きだ。だからこそ今のような形で、どんどん肩身が狭くなっている状況を非常にかなしい気持ちで眺めているわけですよ。……まあ、だからなんだって話なんだけどさ。

ぼくがいま関心を寄せている経済学なんかは、現実を変える確固たるパワーがある*2。理論家としてトップクラスの経済学者は、政府機関や世銀なんかでバリバリ政策提言をしていたりして、トップクラスの実務家でもあったりするのだ。それに学問の強度としても、いわゆる文系学問の中だとトップの健全さ*3を持っていると思う。そういう学問をかじっていると、ふいに思ってしまうのだ。

いま、テツガクにできるコトってなんだろう、ってね。

 

 

けっきょくロンボルグの議論って明確な形で論駁されたりしたの?

ちかごろ環境保護関連の話題がさかんだ。こうまで関心が高まっているのは、やっぱり16歳の例の活動家がきっかけなんだろうけれど、その件自体についてはひとまず置いておこう。まあ、ああだこうだ言ったところで別にどうなるわけでもないしね。

ぼくは世間のニュースにはひどく疎いほうなんだけど*4、さすがに例の活動家関連のトピックスは耳に入ってきた。そこでまず思ったのは、

 

ビョルン・ロンボルグの議論って明確に論駁されたりしたの?

 

ってことだ。

いやあ、見事にグレタちゃん関係ねえな。引くぐらい関係ねえ。

ええと、そもそもビョルン・ロンボルグって誰やねんという話なんでございますけども、説明するのがめんどいので以下のビデオを観て頂きたいわけでございます。(埋め込み方よくわかってなくて字幕の指定がされてないから、適宜日本語字幕を設定して観てね)

 

www.ted.com

 

いちおう補足をしておくと、ロンボルグはデンマーク政治学者で、もともとはゴリゴリの左翼環境保護活動家だった(はず)。それがあるとき、自身の専門分野である、統計学的に環境問題を精査してみたらどうなんでっしゃろ、ということで各種統計を洗ってみたところ、地球温暖化をはじめとする環境問題って世間が騒ぐほど絶望的ではないし、むしろ改善の一途を辿ってんじゃん!!!!ということに気づき、以降は環境問題に対し冷静な目を向けるように提言を続けている学者だ。

上のビデオでも明らかなように、ロンボルグは地球規模の問題に対して、優先順位をつけることを提案している。まあこういうと結構反発とか起きそう(案の定環境保護を専門とする学者なんかからぶっ叩かれたりしているみたい)なんだけど、問題に向き合うためには必ず必要とされるプロセスではあるのだ。

なぜなら、あらゆる資源は希少だからだ。

これは経済学の基礎をなす考え方で、あたりまえの話ではあるんだけど、時間的なものにしても(時間も資源の一種だ)人や土地や各種設備など物質的なものにしても、あらゆる資源には限りがあるのだ。限りがなかったらいまごろ世界中には真の意味での共産主義国家が乱立しているだろうし、あっちもハッピーこっちもハッピーでみんなハッピーな世の中だろう*5。でも実際はそうじゃない。あらゆるものには限りがある。

地球温暖化をはじめとする各種地球規模の問題でもそれは同様であって、あらゆる問題に対して、まったく同じだけのコストは掛けられないわけ。そこで自然と優先順位をつけましょうという話になってくるわけだと思うんだけど、ロンボルグの議論では、地球温暖化に対する優先順位はそこまで高くないのだ(というか議論で挙げられている問題の中で最低だ)。

個人的にこの議論はとてもしっくりくると思うのね。

なぜなら、環境問題というのは素人目に見て、原因の同定が非常に困難な問題だと思うから。環境というもの自体、非常にカオス的な現象なわけでしょ。蝶の羽ばたきが嵐を呼ぶじゃないけれど、何が原因となってその状況になるかって、おそらく分からないわけじゃない*6。なおかつ、それが100年単位200年単位でどうなるかという話だから、そもそも具体的かつ効果的な方策って取りづらいと思うのよ。人間って長期の予想とか苦手だし。だからほかのところ、例えば途上国に対する支援をして、世界全体を豊かにしたほうがいいんじゃないって話よ。そうしたら今は難しいことも、豊かになった状態だったらできるようになるかもしれないじゃない。

そんなこんなでロンボルグの議論には親近感を覚えたりしてるわけなんですけど、この議論って明確な形で論駁されたり破棄されたりってしてるのかしら。ぶっちゃけこの分野については無知に等しいので、ぜんぜん知らないんすよねえ*7

で、冒頭のトピックスに戻ってくるわけなんだけれど。ロンボルグのこの議論に明らかな理論的破綻やクリティカルな反証があって棄却されてたんなら、今グレタちゃんがああいう演説をすることにも意味はあるんだろうけど、そうでないならあの演説って、自分たちが食いっぱぐれないように、環境保護団体が一芝居うってるようにしか思えないのよ。

ロンボルグの議論って、けっきょくどうなったのかしらね。

 

プロメアは炎炎ノ消防隊のパクリなのである!!!!!!!(大爆笑)

なんか一時期騒がれたよねって話をなんとなく思い出した。

そんでぼーっと自分のEvernoteを見返していたら、その頃にブチ切れて書き散らしていた雑文があったのでここに供養しておきたい*8。書いた当時は炎炎の方は未見で*9、その関係でやたらプロメアに肩入れしたような論調になっているのはどうかご了承頂きたい。

 

(以下、雑文)

 

巷では、どうやらプロメアのパクり疑惑で盛り上がっているらしい。

バズりそうな話題には、蝗のようにすぐさま群がるまとめブログの連中も、こぞって取り上げているくらいなので、けっこうな話題といって差し支えないんじゃないだろうか(余談だけど、こんな下品な連中が同人ゴロだなんだといって話題のキャラを描きたがる絵描きを笑っているのはとても滑稽だよねえ)。

で、それはそうとプロメアはなにをパクったのよ。大久保篤炎炎ノ消防隊?ああそう、そんなのもあったわね。ふうん。今度アニメにもなるの。まあたしかに、プロメアと炎炎ノなんとかいう漫画はどっちも消防隊が主役だし、敵の成り立ちようも似てるっちゃ似てる。というかそっくりだ。

でもさ、これって、消防隊をメインに据えたらだいたいこういう構図になるんじゃないの?

「消防隊を主役にする→火を消すから敵は火をつけるやつだ!→火を操る能力者を敵にしよう!」

ってな具合で、バカなワタクシでも3秒くらいで思いついたんですけど。っていうか思いつくもなにもないですよねこれ。大喜利で回答したら失笑されるくらい捻りがないんですけど。ひょっとしてパクりとかって言ってる連中は、たったこの程度の一致で文句をつけてるわけ?

まあでも、スタジオトリガーと言ったらキルラキルでも堂々とパクりをやらかした極悪非道の制作会社だし(真に受けるなよ:ちなみにパクったのは学園なんとかいうクソほども売れてない漫画ではない。かのバリントン・ベイリー先生の傑作SF、カエアンの聖衣をパクったのである!!ギャハハハ)、今回も卑劣極まるパクり方をしておるのやもしれんね。

というわけで、調べたのよ。でもさ、これ以上の一致点出てこないわけ。これはいったいどういうことお!?!? 邪悪の権化ことスタジオトリガーのやり口なんだもの、もっと盛大にパクりまくってるんでしょお!?!? 火を消すためのロボットとか、中盤に出てくるでかいあれとか、発火人間が発生した理由とか、ラストででかいあれがああなってああなるやつとか、そういうのも全部ひっくるめてパクってるんでしょお!?!? ええ、ちがうのお!?!? じゃあみんなはなににそんな怒ってるのお!?!?

それがわからないのだ。何に対して怒っているのか。そこそこの数のツイートを漁ってみたんだけど、怒ってる人たちはパクり云々は前提としたうえでただただ怒っているのだ。

いや、でもさ、ちょっと考えてみてほしい。それってほんとにパクりか? 

最初にぼくが指摘したみたいに、正直この部分の設定だけならアホでも思いつくわけだ。プロメアも炎炎ノなんとかもこんなしょーもない部分で人気があるわけじゃないでしょ(少なくともプロメアはちがう)。それともこんなしょーもないとこが同じだっただけで魅力がなくなるくらい、このふたつの作品はしょーもないわけ?

んなことないでしょ。ぼくはプロメアを3回くらい観に行っているけど、別にこんな部分が気になって観てるわけじゃないのだ。

最後になるけど、大久保篤の例の作者コメントを見る限り、プロメアのことだなんて一言も言ってないよね? まあたしかに、簡単な推論でそうとは察せられているわけだけれども、かといって断言はされてない以上、「『炎炎』の作者が怒ってる~」だとかいって気炎をあげるのはあまりにも早計なんじゃないのかしら。

なんともポスト・トゥルースな世の中だことだねえと思ってしまったことだよ。

 

 

(以上、雑文終わり)

 

いやあ、キレてますねえ。キレてる部分はさておいて、議論の大筋についてはいまも同じことを思っております。ぶっちゃけパクリでもなんでもねえよあれ。

おわり

 

更新履歴

2019.09.27.公開

(同日) 一部注に追記。ぺぺーっと書いた雑文なのであまり厳密さには気を配ってないんですが、それにしてもアレすぎんかという部分に加筆した。

*1:って言ってもなんのこっちゃって話だと思うので補足を。いちおうワタクシ、哲学を専門に学んでいた時期があったんす。っていうかこれまでの人生で一番まともに取り組んだ学問が哲学って感じなんすよ。かれこれ10年以上は関心を持ち続けているので。

*2:こういう物言い、10年前のぼくが聞いたら怒るんだろうなあ。おまえの言う現実ってなんだとか言ってさ。

*3:論理的な健全さ。経済学は数理モデルを扱うのでごまかしが効きづらい。すくなくともソーカル事件みたいなことを起こしようがないのだ。

*4:なにしろテレビがないからニュース番組なんて見ないし、いちおういくつかの報道ソースをフォローしてはいるけれど、本当に気が向いたときしかみないのよ。まじで。

*5:共産主義って理念的な意味では至極当然な帰結だと思うんだけど、あまりにもロマンチックな話だよねえ。書き飛ばしてて気づかなかったんだけど、これはさすがに生産性のことを考慮してない暴論だった。まあでも言わんとしてることはわかってほしい。そしてそれが皮肉であることさえ伝わっていれば大丈夫だ。

*6:分かってたら環境問題というものにこんなに紛糾してないだろうしね。

*7:調べりゃええじゃろって話なんですけど、他のことそっちのけで調べたいかっていわれるとそれほどでもないんだよなあ。

*8:別に書くことないから過去に書いたものでお茶を濁そうという意図があったわけじゃないんです。本当なんです。

*9:その後ちゃんと視聴致しました。おもしろかったです。ただ、ちゃんとおもしろいんだから、プロメアのことを変に意識して、パクリだとかなんだとか言わなくてもよかったんじゃないかなと思う。アニメしか観ていないので、もしかしたら原作はもっと違うのかもしれないけれど、ある程度観たいまもなお、ふたつの作品がそこまで似ているとは思えないのだ。