prograde winter

hi, i'm JK. thank you.

/20190907 prograde winter

(20200509コメント:なぜかずっと下書きで寝かしていたブログ開設しちゃうぞ記事を今更投稿しちゃうぞ)


はじめに

 ブログしまーす。うーい。

 

 始まりましたー。あーい。

 

 さっきからブログを始めるに至った経緯を、書いては消して、書いては消してを繰り返して、はや1時間に届きそうになっていたので、開き直ってきわめて簡素な書き出しから始めることにした。

 っていうかあれだよ。どこの馬の骨ともわからんような、十把一絡げにしてもどれがどれだかさっぱり見分けのつかん、吹けば飛ぶほどのささいな輩が、ブログを始めようが何しようが、市井の人間の感知するところではないわけですよ*1。なので、くだくだしくブログ開設の経緯などを開陳しようとするほうがオカシイのだ。恥を知りたまへこのゲロウ*2

 えーと、気を取り直しまして。このブログは田代の文章練習の一環というか、たまには文字の形で吐き出してやらないと、自分の思考の輪郭すら思い出せなくなってしまいそうだったので、何かしら文章の形で書き表す場をつくろうと思ってつくったのである。とにかく読んで書けと大谷崎も言っておったし。ああ、結局開設の経緯を説明してしまった。まあいいや。

 飽き性なので、どうせ一週間も経たないうちに更新が滞って御破算と相成るかとは存ずるわけではございましてございますが、がんばって続けようと思います。もしかするとこれが、老後の趣味につながるかもしれんしね。老後まで生きてるかはしらんが。

 

最近考えたこと

  • サイボーグはもはやSFじゃねえなって話。

 読んで字のごとくなわけですよ。もうね、サイボーグだとかサイバネだとかはフィクションじゃねえのな。ってなことを、近頃の科学系のニュースを見るにつけ思ふわけでございますよ。

 イーロン・マスク率いるNeuralinkが、侵襲型のBMIを発明して20年には臨床実験をする予定だとか、ウェアラブルセンサが汗から健康状態をはかってくれるだとかさ。SFでさんざんぱら書かれていたようなことが、今や現実のもとにあらわれようとしてるわけですよ。いやあ、すごい世の中になったもんだなあと思いますねボカァ。『ハーモニー』に出てきたWatchMeみたいなものも、似たような代物であればもう出来るんじゃないのかしらね。そんな気さえする。

 ところで、この手の技術の話になると、ぼくらは大抵ポジかネガの、両極端な反応をとりがちだ。たとえば書店にでも行って、AI関連の書棚を眺めてみてほしい。かたやターミネーター的な、AIが人類を滅ぼす*3式の本があり、かたやAIによって人類にバラ色の未来が的な、ポシポジ全開の本があったりする。

 まあこれは単に、ゴシップ誌やらまとめブログやらと戦略は同じで、人びとの感情をつよくかき乱すようなものの方が売れやすいから、そういう論調を張っているだけなのだろうけども、まあでも、人間はニ値的な思考に慣れがちであるし*4、進化の都合からネガ的なものに反応しやすいつくりになっておるので、ホジネガ極端かつデジタルな発想をしがちなのは、人間という種一般にいえる傾向性なのかもなあなどと、トンデモ一歩寸前のヨタを思ったりもするわけなのだ。このヨタも、いくつかの道具立てを使ってやれば満足の行く形で実証できそうな気がしているわけだけれども、まずもってめんどくさいし、ぼくにそんな力はありそうにないので、思いつきで留めることにする。

 

  • アニメ

 炎炎の消防隊とお母さんがなんとかいうアニメをかろうじて観ている。あとコップクラフトだっけ。賀東センセが原作やってるやつ。

 炎炎はとにかく作画的な興味だけで視聴してるといっても過言ではない。なにしろ話は良くも悪くも王道的というか、ありがちな話ではあるし、大久保先生のおつくりになるキャラは非常にキャッチーではあるのだけれども、いまいち動機の部分がはっきりと見えてこなくて、そのせいでいまいち感情を乗せづらい気がするのだ。もちろん嫌いじゃねえんだけどもさ*5。いやあ。それにしても、8話の最後らへんにあった、環ちゃんの長尺表情芝居は最高でしたね。8話はほかにも、アレでソレな手合が泣いて喜びそうなシークエンスが盛りだくさんでうれしい限り。

 アニメについてはもうちょい大枠で考えたことがあるんだけど、ふつーにそれだけで一本記事が書けそうなのでここに書くのはやめとこう。気が向いたら記事にします。

*1:この理屈でいくと、そもそもこんな駄文を読む輩は存在しないことになってしまうわけなんですが。

*2:にしても、こういうタイプのタカビー(古代精霊語)ってついぞみなくなったよね。タカビーどころか近ごろは、その後継者であるところのツンデレとかいうやつすらさほど見かけなくなった。

 うーむ。そもそも、キャラクターを属性で語るような在り方自体をそんなに見なくなったような気もするなあ。10年くらい前にはやれネコミミだのメイド(正確にはメードなんでしたっけ。手元に記者ハンドブックがないので確認のしようがない。ああそうそう。記者ハンドブックといえば、この間観に行った「天気の子」の作中に登場していて、装幀は新版そのままだったのに、題名がなんとかいう名前に変えられていて笑ってしまった。)だのと、オタクたちは属性でもって己の萌えを語っていたような記憶があるのだけれども。そういや萌えってことばも死語になって久しい気がするなあ。ううむ。歳はとりたくないもんですなあ。

*3:AIが人びとの仕事を奪う、というのもこの変奏だと思っている。もちろんAIが普及することによって人びとの仕事の形が変わるだろうとは思うんだけど、だからといってみんな仕事がなくなるとか、そんな極端な話にはならないだろうと思うのね。最近もそういう話をTwitterかなにかで見かけたんだけど、いわゆるブルーカラー層が仕事を失うみたいな話になっていて、そんなアホなと思った次第である。AIは人間の知性的な部分の拡張をするわけだから、むしろデスクワーク中心のホワイトカラー層こそ在り方が問われそうな感じがあるよね。ところで、AIの方面にはとんと疎いのだけれども、今存在するAIって基本的には弱いAIなのよね? だとしたらクリエイティブ職はまだまだ生き残りそうだなあとか、単純なアルゴリズムで片付くような知的作業はことごとくAIで置き換えられそうだなあとか、いろいろ思ったりもする。まあでも、シンギュラリティを迎えて、曲がりなりにも強いAI的なものが登場しない限りは、知的生産にかかわる職が、きゅうに人間の掌から失われたりはしないだろうと思う。いやむしろ、現行の形であればそれは、かえってそうした人びとの役に立ちさえすると思うのだ

*4:もちろんニ値的でない論理もあるのだけれども、日常ぼくらの使うツールとしての論理は往々にして実にシンプルで、おそろしいほど排中律によって支配されている。このニ値の枠から飛び出すための枠組みとして、ときおり東洋思想が援用されたりするわけだけれども、ぼくが見る限り、それらのおおよそはある種のエキゾチズムに終始しているというか、反西洋中心主義への目配せに過ぎない場合が多いような気がする

*5:言っても大久保先生の作品は、一応B壱から追っかけてはいるので、そこそこのファンといえばファンなんだろうとは思うのよ。